永岡武人(1984〜)の北京(2010〜)→成都(2014〜)での建築設計事務所勤務生活雑記
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雲南省で発生した地震の被害に疑問
日記形式を放棄して、週一の更新にしようと決心。



先週日曜日に雲南省で震度5強かな、の地震があって連日報道されている。どこの道が復旧しました、政府に感謝!みたいな報道だけど。震度5強程度で住宅が全壊してしまっているのを見て疑問に思う。雲南省が所謂中国の支配下に入ったのは元の時代。それまでは独立国家として存在していて、長い歴史を持つ。つまり、地震多発地帯である雲南の人たちは長い間地震と付き合って暮らしてきたはずなのに、どうしてもこんなに被害が拡大してしまうのだろうか。倒壊しているのはレンガを積んだ壁に木造の屋根を架けた住宅。震災の度にこんなに大きな被害を被ってきたんなて考えられない。進歩があるはず。

ということで、今週のメモ
1.雲南の建築構法の変遷
2.レンガ造はどこからやってきてどうして受け入れられたのか
3.中国で軽量鉄骨造の建築の解体方法
4.軽量鉄骨を売却する際の手順
5.鉄骨の売値

について来週末までに調べる。

 
事務所の仕事について紹介
周一の更新になってるけど、まあそれでもいい。
雲南から帰ってきて現地で得た情報と案の擦り合わせをやっている。

このプロジェクトは事務所がこれまでにやってきたプロジェクトの「安く早く頑丈で快適な家を建てる」という流れの中でも少し条件が異なり、クライアントからは現代っぽい感じがほしいということで、これまでのモジュールは踏襲しながら新しいシリーズの開発的意図もある。

試用期間1ヶ月を経て、晴れて正式採用となったのでぼくが所属する事務所の紹介を簡単にしたいと思います。
ぼくがいるのは台湾の建築家、謝英俊が主宰する常民建築の成都事務所。市川くんが最近出版した「ねもはEXSTRAー中国当代建築」でも紹介されていないので日本では恐らく知られていない建築家だけど、謝英俊は1999年に台湾で発生した921地震の際に復興住宅の設計建設を行い、その後も震災がある度に復興住宅の建設を行っています。921地震以前には台湾の公共建築も多く手がけていましたが、最近は農村住宅が主な仕事です。建設までの流れの中で、設計と生産、建設の全てのフェーズに関与しており、現地調達が難しい材料(主に構造材である軽量鉄骨)は自社工場で生産し現地に輸送。住民自身が建設できるよう可能な限り簡略化してあります。そのため設計はディテールがある程度固定していたり、モジュールが決まっている中で行います。これは規模は違えど日本のハウスメーカーに近い業態だと思うし、近代建築の工業化を比較対象として考えることが出来ると思うけど、この点については考察が必要なところなのでまた別の機会に。
今日は先月現場視察に行った雅安市の住宅について写真を交えて紹介します。

昨年雅安市で発生した雅安地震の復興住宅建設プロジェクトで、敷地は成都市から車で約5時間の山中にあり、費用の大半を政府が負担して建設が行われています。
昨年末に建設が始まったものは既に住民が住んでいたり、最近建設が始まったものもあったりという状況です。ぼくはまだ誰からどのように事務所に依頼があってプロジェクトが進んでいるのか理解しておらず、同じ村の中でも建設時期が異なったり、事務所が関与していない一般的なコンクリート造の住宅が建設されているのは不思議な光景でした。

村までの道中、路傍に瓦礫が詰まれていたり、ぼくたちが参加しているのとは別の新農村建設が多く見られました。



この住宅の骨となる妻側断面の部材は地面で組み上げられ、起こしてそれらを梁で連結します。大体はこんな感じで、非常に簡単な作りで、構造材の間はここではレンガで埋められていました。内装についても事務所からの提案は行ったようですが、大体のプロジェクトで住民自身が思い思いに行うようです。近代的生活の代名詞である白!みたいな。



こういう状況で重要なのは、溶接作業がない簡略化された建設作業に住民が参加することで建設費を抑えられること、先行きが不透明な農村地帯で20年後に何らかの理由で住宅が不要になった場合には軽量鉄骨を売って引っ越しなどの足しに出来ることがあげられます。という理念を事務所としては語っているのだけど、ぼくはまだ技術的なことや中国農村の実態に対しての理解が浅いので何とも言えません。軽鉄はトン幾らで売れるのかとか。



このようなプロジェクトを通して、プロジェクトの発生起源や流れ、技術的なこと、農村を取り巻く政治的なことについて具体的な理解を深め、同時に建築の近代化、工業化の勉強も進めていきたい。先日成都をご案内した建築家、岡村裕次さんにも溶融亜鉛メッキした軽量鉄骨は売りにくいんじゃないの?と指摘されて、恥ずかしながらぼくはその場では理解できなかった。この4年間建築の設計活動を行ってきたけど、こういうところが決定的に欠落していることに直面し、俄然勉強せねばと思った次第であります。

 
派出所で2時間近く待たされる
朝7時起床。8時出発し、派出所へ行くも9時半まで待たされた上、担当者到着後いきなり出前を頼んでオフィスで面を食べ始める。
居住登録が住んだのは10時半。さすがに遅れてきた上に朝ご飯をみんなが待ってる前で食べるのは、、と思うも誰一人文句を言う人無し。これが国家権力か。

11時前事務所に到着し、出張時のプレゼンや敷地調査の報告の資料を準備し、午後ずっと打ち合せ。
打ち合せ中突然プロジェクト責任者に指名される。おーずるい!と思ったのは、実は午前中に正式採用の給料のことを伝えられ、色々質問しコミュニケーションをとった上で納得したのだけど、午後の打ち合せでプロジェクト責任者に指名され、あれ条件違うくない?という感情も瞬間的に湧いた。入所1ヶ月でプロジェクトを任されると言うのは嬉しいことこの上ないのだけど、責任と評価の順番が逆な気もする。
とは言えもうサインしちゃったし、年末にその分評価してもらえるよう任されたやりがいのある仕事を進めたい。

夜20時帰宅し、同居人4人で食事。食事を作ってくれるのは重慶人のダーダー。お皿を洗うのは河北人のヤーション。そしてキッチン周りを奇麗にするのがぼくの役割。おかげでおいしいご飯を安く食べられるし、家は常に清潔だしという4人暮らしのメリットを感じてる。もう1人台湾人のアバンはダーダーの恋人と言うことで彼の分はダーダーがこなす。

食後イタリア・フランス周遊からオランダに戻ったLiu ChangとSkypeで話す。パリの博物館で何人かにナンパされたらしい。日本とはナンパする場所も違うのか。

おやすみなさい

 
雲南出張から帰ってきた
引っ越しが完了してからまた2週間以上経過する間に雅安の現場見学に行ったり雲南にプレゼン出張に行ったりしていました。
雅安の件についてはまた後日書くとして初めて訪れた雲南のプロジェクトについて簡単に書こうと思います。





プロジェクトの敷地は雲南省大理市の彝族(イ族)が住む無量山の海抜1900m−2500mの地帯にあり、主に漢方薬の元になる植物を栽培している企業が企画している巨大なプロジェクトの一部をぼくが所属する事務所が担当することになり、これまでに作成した案のプレゼンと敷地調査のために行ってきたと言う訳です。
政府系ではないクライアントはぼくは初めてで、意外にも建築家として敬意を持って接してもらえて非常に気持ちよく4日間を過ごすことが出来ました。これまでプロジェクトの全貌が見えないまま1ヶ月以上もんもんとしながら担当してきて、今回ようやくそういうことだったのかと理解することが出来ました。

今回のクライアントである企業が無量山で漢方薬の栽培育成を数年前から始め、昔から現地に住む彝族の人たちを雇用して植物をはじめ野菜やワインのためのブドウなどの栽培の管理を任せるというのが両者の関係。現在の彝族の人たちの正式な家は畑から数キロ離れた村にあるものの、実質は畑近くの簡素なテントで暮らしている。子供たちは学校に通うために比較的便利な村の方の家にいて、さらに子供たちの殆どは学校の宿舎で生活をしている。今は夏休み中で畑で手伝いをしている子供たちを見かけることが出来た。

僕たちが担当しているのは、そんな彼らのために畑近くに建てる住居兼農業体験を目的にやってきたお客さんが宿泊できる簡易な宿泊施設。平坦な敷地もあれば、緩やかな斜面の敷地もあり、その中で幾つかのプロトタイプの提出を求められている。
プロジェクトの全貌はさらに巨大で、医学界の研究者がここに集いカンファレンスのできる施設だったり、旅行客のためのホテルであったり、老後をここで過ごす人たちのための住居群であったり、子供たちのための学校施設であったり、交通の便を改善するために数年後には飛行場建設も視野に入れているという超巨大プロジェクトな訳ですが、マスタープランを担当する巨匠系の建築家がいて、そこから更に色々と振られていると言う感じです。今回現地を訪れたのは成都からは成都事務所代表のニエチョンとぼくの2人、さらに北京からはホテルパートを担当している事務所の中国人、台湾人、アメリカ人の3人。朝から山を歩き回って、夜は白酒を飲み、その後24時過ぎまでプロジェクトについてクライアントと交流すると言う4日間でした。ぼくが担当しているのは道路近くの敷地だったので全然楽だったのだけど、ホテル担当の方は本当に道なき道を彝族の方の案内で歩き回っていて、夜の打ち合せも眠気との戦いが辛そうでした。

以下写真で

自生の植物を観察しながら道なき道を行き






お昼は村に戻って頂き


畑を横目に敷地にまた向かう











景色の一番良いところにはお墓があって、ここから見える風景を後世に伝えていく術として有効だと思ったり


で夜はクライアントとお酒を飲み


といった4日間を過ごして山を離れる。帰りがけに近くの村で民家見学




このように自分たちの専門分野を出発点に巨大なプロジェクトを進めようと言う企業は中国では少なくないと思います。その中でどれだけ実現するのかは不透明な部分もありますが、今回ぼくたちが担当している住居兼簡易宿泊所については現地の人にとって必要なプロジェクトで意義も見いだせるのでぜひとも実現させたいと思います。まあぼくがそう思ったところで現実にはほぼ影響がないのだけど、そういう態度で臨むことの出来る大切なプロジェクトを担当させてもらっています。
 
引っ越し完了
6月中旬に成都市内から1時間ほどの田舎町での勤務が始まり、その後1週間で事務所が成都市内へ引っ越すことになり、家探しをしてようやく先週末に引っ越しを完了した。
事務所が成都市内の南にある新区にあるので、徒歩30分以内で行ける範囲。おかげで中心部に比べ家賃は安くて120m2で2400元/月(約4万円)。ここで4人暮らし。湖南人、台湾人、重慶人、日本人。事務所の同僚とその恋人というメンバー構成。
みんな割と気が利く人たちなのでたぶんストレスなく生活できそうで、しかもその恋人が料理が非常に上手で夕食がとても楽しみな毎日。事務所近くにはヨーカドーもあって納豆とか買って今度お返ししようと思っている。

それにしても成都の夏は雨が多いなぁと思っていたけど、どうやら観測史上最多の雨だそうでどうにも洗濯物が溜まって行くのには困っています。
さて、明日は日帰りで現馬見学に行くので早めに寝ようと思います。
模型はつくらないらしい
8時起床、寝坊してしまい朝食をとらず急いで事務所に向かう。
終日雲南のプロジェクトの断面を描き続ける。既存のパターンの中での調整を基本に、同時に新しい案を模索するのだけど、事務所の方法を学ぶにはちょうどいい作業で良いタイミングで入ったと思う。分からなくても聞けば丁寧に教えてくれるし。ただ台湾人の先輩のなまりがちょっと聞きづらい。慣れるしかない。
気になるのは事務所内に模型が見当たらない。スケールが掴めないので、事務所の要求に応えるだけなら作る必要のない模型も今のプロジェクトが一段落したら作ってみようと思う。

さてさて明朝6時からの日本戦を見るために今日は早めに寝よう。
夏の色々を感じる
7時半起床8時半出社。
家と事務所の間にはお店がないので、昨日買っておいたヨーグルトが朝ご飯。
朝から平面図の続きをやり、12時半完了。12時半から14時までが昼休み。事務所は工場地区の工場の中にあるので近くにお店がなく、先輩の車に乗せてもらい蘭州ラーメンのお店に連れて行ってもらう。11元とちょっと高めだけど美味しかった。そこで焼いたお餅みたいなの(ピザの耳みたいなの)をスープに浸して食べるものがついてきて、八戸のせんべい汁を思い出した。堅くてぱりっとしたものに水分を吸わせて食べる料理は色々なところにあるらしいひろがりを感じた瞬間でした。

午後は描きまくった平面図を特徴ごとに整理して先輩に見てもらい、ひとまずokをもらう。断面を担当していた人が他のプロジェクトで手が回らなくなったのでぼくが引き続き断面も担当することになる。しかしまた断面の事務所規格がわからないので30分ほどのレクチャーをしてもらい開始。行けると思っていた平面が断面と照らし合わしてみると成立していないものを発見。規格がはっきりあるので平断どちらも理解してくればロスなくできるようになるだろう。

19時過ぎ退社して、1人で食事。
帰宅途中の道では草の匂いを感じ、蛇の抜け殻があったり、大量の虫が浮遊していたり、鳥の羽が落ちていたり、汗がじとーっと落ちてきたり北京とは違う夏を感じる。

新しい事務所での勤務開始
四川省の新津県という片田舎での勤務が始まった。
仕事の内容はこれまでと大きく異なり、台湾や四川で実践してきた事務所の既存のシステム(構造グリッドや階段の形など)の中で、プロジェクトごとに敷地にあった平面のバリエーションを出す。ちょうど今新しいプロジェクトが進行中でぼくは平面を担当していて、これまでのプロジェクトを参考にしながら描いている。
まだ3日目を終えただけだけど慣れてきたらまた色々と思うこともありそうで楽しみ。
勤務時間を終えるとみんなすっと帰って行くので、これもこれまでの環境とは大分異なる。

今週末には事務所が成都に引っ越すことになったので、片田舎生活は1週間で終わることになりそう。とはいえ、他のスタッフを見ていると1週間のうち半分くらいは現場に行っていそうなので、そのうち片田舎どころではないど田舎生活も体験できるだろう。

以下写真
市場がたっていたり、畑でスイカを売っていたり、自転車の後ろに鶏が乗っていたりする街です。

出発の準備
明日から仕事で、ちょっとした引っ越しが必要なので荷物を整理。
午後、向こうでは買えなさそうなコーヒー豆とペーパーフィルターを求め市内で買い物中、友だちから飲みの誘いがあったので出向く。2人で飲むのかと思ったら初見の人が3人もいて、その内の1人が中国の近代史について熱く語っていて話に入れない。他のみんなもつまらなそうにしているけど、誰も彼をとめないのでなんとなくお酒を飲みながら聞いていた。その歴史の彼が用事があるからと20時過ぎに帰るとまた別の人たちが来た。持ってきたワインを飲もうとしたら店員からとめられたので、別の店に移動しようとなり、言われるがまま移動して着いたのはカラオケ。一番嫌いな場所。。
日本関連の歌もいれてくれるのだけど、どれも分からない。AKBとか。
歌で盛り上がってる2人とは別にぼくを含め4人がサイコロ?ゲームと書くとバカらしいけどまあゲームをして負けたら一気飲みみたいなノリで、たぶん中国に来てこういう不毛なノリに混じった。それにしてもほんとみんな飲まないなぁというのが今日の実感。
あぁ、あと最近はケータイの番号を交換せずにWeChat交換が一般的らしいことが分かった。

 
ご無沙汰です
2月2日以来約4ヶ月ぶりの投稿になってしまった。
この間、農村住宅のプロジェクトが止まったりビザの更新したり就職活動したりしていました。



人生初の就職活動が実り就職先が決まり、当面は成都で暮らしていきます。地図で見るとかなり西に来たなと言う感じがします。雲南省旅行の入口に成都を利用する人も多いのだとか。パンダや辛くて痺れる四川料理で有名だけど、北京オリンピックのあった2008年に起きた四川汶川地震の被災地は成都市近郊。就職先の事務所も主に被災地の農村住宅に取り組んでいて、これまで北京でやってきたこととはかなり異なる。これまでは方案作りという案作りの仕事が多かったのに対して、クライアントとなる農民たちの声を聞き、案をつくり、テクニカルなことをクリアし、材料を制作する工場の人たちとコミュニケーションをとり、現場で施工監理をしと一通り関われる予定。所内で飛び交う言葉も異なるだろうし、四川語の聞き取りにも慣れないと現場に行けない。
困惑することも当然多々あると思うけど、30歳目前にして、また新しい場所、環境で数年後の自分を見越してやりたいことに取り組める生活が楽しみです。