永岡武人(1984〜)の北京(2010〜)での建築設計事務所勤務生活雑記
<< May 2012 | 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 >>
銀河SOHO by ザハ

昼過ぎまでゆったりと作業。
昼過ぎに鉄骨会社がやってきて橋の構造の打ち合わせ。
あと一週間で施工図を完成させてもらわなければいけない。うちの事務所と一緒にやる事務所は大変だ。

20時過ぎ退社し自転車で帰宅。
CCTVが煌煌と光っていた。なにか特別な日なのだろうか。

家では自炊生活を続けている。
が、炊飯器がないのでいつもは近所のセブンイレブンで白飯だけ購入して帰るのだけど、今日は売り切れていたので残念ながらビールと酢豚だけ。

写真の卵型ヴォリュームの建築は東二環にあるザハ設計の銀河SOHO(Galaxy SOHO)。
上部は鉄骨造になっておりここのところなかなか進展がみられなかったのだけど、大分進んでいた。フォスターのロンドン市庁舎を繋げたような印象だが、絶妙なヴォリューム感。
完成したら改めて見に行きたい。


眼鏡購入

先日フレームだけ購入してた眼鏡にレンズが嵌まった。
上のやつは普段掛けてるサングラス。

眼鏡を受け取りに眼鏡屋に行った帰りA座の前にオシャレな外人集団。
と思ったらオーレ・シェーレン。
オレと言えば最近タイの映画祭のためにつくった海上映画館がネットでも話題に。

以前同じく建外SOHOでレムを見かけたこともあった。
たまにそんなことがある建外SOHO。


アスファルトルーフィング

朝からバスステーションの施行方と打ち合わせるも、結局鉄骨構造の計算根拠の詳細はぼくにはわからず担当設計院に相談することに。

写真は向かいのアパートの屋上でアスファルトルーフィングの工事。
たまたま防水層の更新作業をしていたのか、毎年夏に備えて断熱のため工事してるのか。

ブログを更新していたらサッカー元オランダ代表のファン・ニステルローイが引退するとのニュースが。ぼくにとってのスター選手がどんどん引退し、コーチや監督になっていく。
ウィキが既に更新されている。凄いスピード。
野球もしかりぼくより若い選手たちがたくさん活躍しているのを見るにつけ、自分が年をとっていっているのを実感する。


中国の一級建築士試験

昨日地下鉄の中で見かけたT定規とサンスケを携帯してる人。

中国では一級建築士の試験があったところ。
事務所の幾人かも受験しているそうな。

昨日は結局朝まで作業して昼過ぎ出社し、図面を仕上げ先ほど帰宅。
明日も9時半からバスステーションの施行方が事務所に来て打ち合わせ。
うーむ息つく暇がない。

少し映画でも見てだらだらしたい。


結婚パーティからの一日
午前中事務所に行き、昼から事務所の通訳さんの結婚パーティーに参加。
場所は清華大学近くのレストランで以前お会いしたことのある旦那さんの同僚の方達とこちらの事務所の関係者など。

特に形式張ったものもなく、一緒に食事をしながら新郎新婦が皆のところに行って挨拶をするという感じだった。



パーティーの後、眼鏡城に行ったものの接客してくれた人とあまりにもコミュニケーションがとれず検査だけして断念。



眼鏡城をあとにして残業命令が出ている事務所で仕事をし、今は家で残った図面を描いている。
最近はあまり事務所に遅くまで残らないよう意識している。それでも残ったら家で続きをするリズムができつつある。


読書会

朝までになんとかスケッチアップのけりをつけ、仮眠をとって早めに出社。
作業の合間にちょっと考えスケッチをしたものの結局社内コンペには出せず。

午前中は作業を続け、午後は別の公園のプロジェクトとモスクの現場で発生した問題の解決案を考える。
午後7時からは『中国都市・建築・環境』研究会の第一回読書会。
「アメリカ大都市の死と生」ジェーン・ジェイコブス 1971年
明らかになったのは計画者と研究者の感覚の違い。
計画者は割と計画につながる視点を意識してしまうが、この本の内容は壮大で、結論を急ぐと一般論や既成事実で落ち着きかねないので、丁寧にジェイコブスの視点の発見を共有していく喜びを前提としたい。

この本が現在読まれている1つの理由として「近隣」と言う概念の曖昧さから、物理的なもののみならずインターネットや趣味などのアイデンティティの範囲の共有可能性に現代的共感を得られているからではないかと思うが、先を急がず楽しんで参加していきたい。

中国語訳の本では近隣が街区と訳される点なども興味深かった。

実務に追われる日々の中、会のスタートを切った川井さん及び皆さんお疲れさまでした。


夜11時の打ち合わせ
夕方五時から明日の朝10時に提出の社内コンペの発表。
都市計画チームのヘルプと言うことで11万屬寮府ビルを含む一帯の計画を一人一案。
夜11時からの別プロジェクトの打ち合わせで明日の朝10時までにスケッチアップ修正。

忙しない。

事務所の空気が埃っぽいので自宅に帰って作業を続ける。
スケッチアップ修正が早く終われば社内コンペにも参加できるんだけど、ちょっと厳しそう。


北京の交差点

北京は自転車専用道路が整備されていて最近は専ら自転車通勤。

が、写真(進行方向が赤信号)の通り交差点ではみんなちょっとでも前に出ようとして大混雑。
右折車は基本的に信号と関係なく進行できるのだけど、このように歩行者や自転車が道路に出ているもんだからクラクション鳴りっぱなし。

だから車もそういうメンタリティーを前提としている。
そのため感覚の違いが起きかねないので、できるだけ注意を払って走行。
なんてしてるとあんまり考え事はできないんだけど気持ちがいいので自転車通勤は続く。


視覚の芸術/意味の芸術

仕事の合間に「Architectural THEORY」という15世紀から20世紀(例外としてフランスのVillard de Honnecourtは1210-1240)の建築を建築家毎に紹介した本を眺めていたら、建築(家)が扱っているテーマが大きく変わっていることがわかる。

掲載されている図版では「モジュール/立面/装飾」が目につくが、これらは今の建築では主要なテーマとして扱われていない。
それどころか、「装飾的だ。」なんて否定的な意味で使われることすらあるけど、ぼくは装飾のなにがいけないのかといつも怪訝に思う。

建築のテーマが「視覚の芸術」から「意味の芸術」へと変わったとしても、それは当然視覚の芸術を前提とした上で成り立っているもの。でなければ建築の進化の積み重ねが行われ得ない。
当たり前のことだけど。

その中でもルドゥー(1736−1806)は同時代の人たちと比べかなり特異な存在だ。
全体は20世紀のコーナー締めくくられるが、コルビュジエなどと共にアジア人で唯一黒川記章が紹介され、最後はコールハースで終わる。

階段の段差の差

今朝は8時半から打ち合わせで、21時前に事務所を出て自転車で帰宅。

社区の駐輪場が現在予約待ち状態で7階の家まで担いで上る。
途中6階の踊り場だけ石が貼られていて蹴上げがわずかに高い。
こういった階段の蹴上げ問題は古い建築に限らず、中国の多くの建築で見られる。

躓いたりはしないけど脚が疲れるのを感じながら家に帰着。