永岡武人(1984〜)の北京(2010〜)→成都(2014〜)での建築設計事務所勤務生活雑記
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『長安から北京へ』(1976)読了
西安(長安)から北京へ帰る電車の中で読んでいた『長安から北京へ』司馬遼太郎著を読了。
司馬遼太郎が日本作家代表団の一員として1975年に中国に来た際の記録。
1975年と言えば毛沢東は存命の時。つまり文革中。
以下興味深かった部分の抜粋

万暦帝の頃(1600年頃、明朝末期)を例に農民の説明として(p.33)
『皇帝とその家族につかえている宦官だけで、十万人いた。(略)ともかく農民たちはそれだけの無為徒食の者を養っている。(略)農民は要するに二重にも三重にも搾られるだけのものであり、さらに農民を搾る階級として郷紳という存在もいる。』

中国の歴代の王朝及び現在の統治者について(p.100)
『八億を永久に毎日食わせてゆくということを政治の基礎に置いているという絶対条件』
『工業は拙速にはやらない。拙速にやればーたとえば劉少奇路線のようにーかならず農業が犠牲になる。農業が犠牲になれば現中国は滅びざるをえないだろう。(略)』

人民大会堂に招かれ(p.349)
『人民大会堂の無用なほどの天井の高さは、(略)天井までの空気の量が多ければ多いほどその空間の威厳が増すというぐあいの心理学は、そのころまでの建築設計の常識であった。』

ぼくは高校時理系では珍しく日本史を選択していたのだけど、歴史を学ぶ(と言っても脈絡はないのだけど)モチベーションは何かと考えてみると、[歴史=人間の好奇心+それを裏付ける技術]が読み取れて興味深いからだろう。それを司馬遼太郎のような人の文章で学ぶ(偏りはあるのは重々承知で)のはただ学ぶと言うだけに留まらずこちらの好奇心までくすぐられるようでついついとまらなくなってしまう。
さて、ということで近く中国語で書かれた中国の歴史の本を読みたいと思っているのだけど、なにかオススメありませんか?


日本料理 和風料理
月曜日
新しい週が始まった。
昨日も昼から事務所行って仕事していただけに落ち着いて仕事できるかと思ったら、また別のプロジェクトの担当になり割と忙しく一日を過ごす。
朝一で金曜日にプレゼンのあった文化センターの結果報告。事務所内から4つのチームが提案をまとめてプレゼンしたのだけど、残念ながらぼくたちのチームの案は通過せず。一案のみ提案する場合と複数案提案する場合の仕事の進め方は異なるのではないかと思ったことが収穫。

その後新しく担当することになったプロジェクトの段取りをたてて、ちょっとずつ進める。
とりあえず水曜日にはパースを出さないといけない。
その他、かつてテレビタワーを建てるというプロジェクトが、空港の近くで高さ制限のため頓挫した敷地に別のものを建てるプロジェクトを進め、18時から劉さんと打ち合せ。明日プレゼンするらしく、そのためのPPTをまとめ21時過ぎ退社。
この休日に読み進めた『項羽と劉邦』司馬遼太郎著を読み終わる。
結果、歴史小説なのに至る所に赤線が引かれている。各地の風土、生活を土壌にして育つ様々なスケールのキャラクター(例えば、項羽、楚人など)と彼らが躍動する中国と言う舞台を想像を膨らませながら読むことのできる面白い本だった。


写真は事務所近くの日本料理屋の2つの看板。こういうところが中国らしさを感じさせる。


『中国「反日デモ」の深層』読了
8時起床。
昨日と変わらず空気が悪い。ヤフトピにもなってた
午前中は家で読書をして、昼から事務所に。
政府前広場のディテールをつめるスケッチを描く。
19時過ぎ退社。いつもよりマスクをしている人を目にしたような気がする。家で鍋を食べた後、卵を入れおじやにして満腹。

帰りによったセブンで目にした『DEEP』という雑誌にオルドス(鄂尔多斯)の文字が見えたので購入。今年は中国系の本と日本の歴史について書かれた本を読もうと思っている。
中には、プロジェクトの名前や写真は出ていないけど、『圜丘壇(天壇にある円形の祭壇)に似た釜のような巨大な彫刻が霧の中でも見えた』と文章で登場していてビックリ。他にも人口に対して建築が多すぎる。もしそれを満足させる移民が来たとしても水資源のことはどうするのか。と既出の疑問を呈しながら32ページの特集が組まれている。これからちゃんと読みたい。


さらに福島香織著『中国「反日デモ」の深層』を読了。アイウェイウェイや重慶の薄熙来のことなどなどについて、そこにある政治的駆け引きやそこに否応なく関わることになった人たちの覚悟がこれでもかと書かれていてとても勉強になった。失脚、亡命、失踪、監禁、暗殺、、真相ではなく深層なので自分でこの状況を理解する重要さ、そういう社会にいる緊張感を改めて知る良い本だった。

セヴェラルネス+
連休明けの出勤。
空気が白濁。連休明けで車が戻ってきた排気ガスと巻き上げられる砂塵と工場の稼働。


事務所では切羽詰まったものがないのでじっくりゆっくり過ごす。
6時半退社。

スリランカ行く前から読んでいた『セヴェラルネス+』中谷礼仁を読了。
一度の通読では租借できない密度の濃い本だった。
タイトルのセヴェラルネスとはseveral+nessという日本語にするならいくつか性という秀逸な造語によるタイトル。
本書ではタイトルの視点を軸に、桂離宮やインディアンによるアルカトラズ島の占拠、ウィトルウィウス、ピラネージの銅版画、アルド・ロッシ、イタリアの円形闘技場クリストファー・アレグザンダー、奈良の平城京に纏わるダイコクノシバ、電車住宅、レヴィ・ストロース、堺の古墳跡、ヒロシマ、、、と向き合い著者の言う「事物と人間とが連鎖するかたちを書きたいという欲望」の結晶として非常に刺激に満ちていた。

多くの事例(を探し当てるのもすごい)とその考察から、事物の連鎖の因果を拾い上げようとする本書の中からかいつまんでここに取り上げることは出来ないのだけど、イタリアの円形闘技場の転用プロセスを書いた項には興奮した。そして最終章「先行形態論」で取り上げられたヒロシマにおける丹下健三案によって具体的な都市の提案例を示す。そこには「構造を改造するのでなく、構造に『衝撃を与える』と表現していることに注意したい。(中略)丹下はこの計画において、とうとう『有効な衝撃の具体的な方法』、つまりは先行形態に衝撃を与え、転用し、新しい場所を生み出すことに成功したのだった。」で締めくくる。
これは再読しなければいけない。

スリランカ旅行の感想2を書いた。スリランカ旅行される方のご参考までに。


見えない都市
朝8時起床。
普段あまり夢を見ないのだけど、今日は変な夢を見た。くだらないのだけど、色んなお店に寿司を探しに行く。食べたいのかどうかもわからないのだけどがむしゃらに探す。ようやく見つけたお寿司はスーパーのお惣菜コーナーのお寿司で、買うかどうかとうだうだしていると目が覚めた。お寿司が食べたいわけでもなかったけど、北京に帰ったらお寿司を食べに行こうかな。

午前中仕事をしながら、旅行までのスケジュールを作成し劉さんに送付。
スリランカ旅行の日程も具体的になってきた。バワのホテルにも宿泊する予定。

夜食事に行ったお店に隣のクリーニング屋の女の子が来てぼくらにちょっかいをかけてくる。途中までは楽しく遊んでいたのだけど、突然ぼくのことを日本人と知ってものすごく批判し始めた。なまりがすごくて何を言ってるのか詳しくはわからなかったけど、一緒に食事に行っていた同僚がぼくら中国人は日本のことを教科書でそう習うのだと教えてくれた。本やTVでは知っていたが、そういう風に改めて言われドキリとした。

日曜日なので、仕事をしながら、休憩がてらカルヴィーノ「見えない都市」を読む。
本書は米川良夫によるあとがきにもある物語の物語り方の形式的な部分に注がれた情熱にはぼくはノータッチ。
個々に興味を惹かれたマルコ・ポーロの語る都市は以下の四つ。
『都市と交易3』エウトロピア。生活も都市も交換可能な器としての都市。
『精緻な都市5』オッタヴィア。地面には住まない蜘蛛の巣都市。
『都市と名前2』レアンドラ。定住する神ラーリと移住を続ける神ペナーティという二つの神の存在する都市。
『都市と名前4』クラリーチェ。繁栄と衰退を繰り返す中で転用され続ける物質で構成された都市。(引用:柱頭は寺院に置かれるより前に鶏小屋にあったのかもしれませんし、大理石の骨壺は、死者の遺骨を納める以前にパセリを植えられていたのかもしれません。)


視点が「変化」に偏っているのがよくわかる。


縄文の生きる東京
出社後一日二つのプロジェクトの駐車場の検討。
午後は途中、展示可動壁のメーカーが来てもらい打ち合わせ。うーん、ちょっと。という印象で明日は別の会社に来てもらう。国立新美術館の可動壁を設計したコマニーも中国にあるようだけど中国では美術館や博物館等の施行例はないみたい。

昼休みに中沢新一著「アースダイバー」を読了。
大方のあらすじとしては、縄文時代の東京の地形図を持ってでかけると、そこかしこに縄文時代から連綿と続く土地(地形)と人間の生活の関係が見えてくる。
というもので、「死のテーマにかかわりをもつ場所をわざわざ選んで、都市の重要な機能をになう建物や施設をつくった人々の感覚のなかには、近代人の限界をこえるものが、ひそんでいたのにちがいないと思えてくる。その意味で、東京は近代的な発想をこえた、おもしろさを秘めているのだ。」(p.60)にあるように、軸としては丘と谷(窪地、湿地、水の下、池等)、あるいは大地と海という地形的特徴の中に生と死という視点で東京を読解していく。

この本は元々大学時代に指導教授に教えてもらって6年越しにようやっと読み終えたが、中沢新一の言葉は情感に訴えかけて来るようなところがあって心地の良い読書だった。


最近読んだ本
最近読んだ本の感想をツイートしたので、それをブログにも載せておこう。

『粘菌−その驚くべき知性−』 中垣俊之
昭和天皇は粘菌の研究者だったとは。新種の粘菌も発見していたとは。単細胞生物である粘菌にも触覚味覚嗅覚など感知能力があるそう。シュタイナー問題を1000回に1回正解を出し、残りは7%以内のエラーで正解に近い答えを出すなど。
分散的かつ自律的に処理が実行される自立分散処理。一定の間隔で刺激を与えると、その後その記憶から予知し反応するなど時間記憶能の芽生えがあったり、先ほどの99%の間違いも、逆に言うと思考?している結果、様々な結果が出るのでは。つまり迷っているわけですね。非常に興味深い粘菌です。


『新建築6月臨時増刊 今、建築について思うこと』新建築社
これだけ多くの建築家や学生がある意味で集中してよい状況に対し、これまでとは違う仕事の仕方、場所との付き合い方が出てくるのではないかと最近強く感じている。それぞれの街と建築家をカップリングするような。ねちっこい活動が必要だろうと。
ここには載っていないけど、山本理顕をはじめとする土地の所有についての言及が気になる。昔から気にしていた建築の所有の仕方に続き、土地の所有について考える必要がある。ちなみに、王樹(Wang Shu)も寄稿している。


『インタビューズ1・2』大阪旋風プロジェクト
大阪をに住むいろんな人にインタビューしたもの。西川勝(哲学者)の痛みの話、櫻田和也(社会学者)の働く話、山田創平(都市社会学者)の水の話が特に面白い。コンタクトゴンゾや淀川テクニックなんかも。
山田創平のところで出てくる、船にお坊さんが乗って海に出て行って死ぬ「補陀落渡海」(ふだらくとかい)という修行なんか、初耳。都市構造における水辺の意味。琵琶湖と大阪の川の関係。面白かった。


『コミュニティデザイン』山崎亮
色んな視点が紹介されていて参考になる。一方で、どうやってそこにこぎつけたかを深く知りたい。もちろん苦労話の紹介じゃなくてね。
何が欲しいか。それを知るために「何が欲しいですか?」「欲しいものは何ですか?」では、たどり着けない所が。次作に期待。


こうやってまとめて置けば、後からどんな本だったか思い出せるかな。
ぼく、読んだ本のこと、ほとんど覚えてないので。。