永岡武人(1984〜)の北京(2010〜)→成都(2014〜)での建築設計事務所勤務生活雑記
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宮島達男の作品について
宮島達男についてツイッターで書いたことをこちらに少し編集して載せておく。




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昨日798内のUCCAで宮島達男展のオープニングに際し催されたレクチャーとオープニングに言ってきた。正直言って、彼の作品は見た目は相変わらずかっこいいが、中身がないというか、あまりにもストレートというか、そんな気がするんだよなぁ。

一緒に行った鏡さん(フランスに留学してた)いわく、フランス人が好みそうだね。とのこと。ボルタンスキー的とも取れる。確かに、東洋的死と生の概念をモチーフにしてるからなぁ。(うまい言葉が見つからないけど、ぼくはそこがストレートというか安直な表現に感じ、まだ作品としては評価できない。)

さっき宮島達男について少し生意気なことを書いて、このままじゃずるいと思ったので一つだけ具体的に。展示されてるHOTOという、仏教の宝塔を形もコンセプトもモチーフにして、まわりにLEDのガジェットを貼り付けまくった作品。

宮島達男の伝えたいことがこの作品なくして伝えられないのか?仏教の間口を広げる活動として位置づけるなら、別にいいんだけど。仏教の再解釈でもなければ、作品の拠り所と言うにはあまりに直だし。。少し難しい話題だな。以上です。

ちなみに、宮島氏がHOTOについてこちらで説明しています。ご本人は意図的にわかりやすいものをやられているようです。


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で、なにが引っかかっているかって言うと、
作品は、1−9まで数字が変わっていき、それが時間の連続性を体現していて、「0」の部分で0を表現せずに真っ暗になる。そこが死の部分らしいんだけど、それは確かに少し考えればわかる。

連続非連続に焦点を当てている一方で、LEDの特性として、LEDの光は連続していなくて、点滅しています。
コンセプチュアルな作品なので、眼に見える部分を手がかりに何を言いたいのかを考える必要がある作品で、かつ作者はそれを求めているわけで、そうなると点滅していることまでわからなければたぶんいけなくて、でも作者はそこは省いているように思うんです。

そこがものとして現れる作品としては矛盾しているんじゃないかと思う。

なにかここにまだ言葉にできない宮島達男の作品のしっくりこない部分を納得するためのヒントがあるんじゃないかと思ったのでメモっておきました。

と、ここまで書いておいて、しっくり来ない部分がたぶんもう少し具体的に分かったので、もうちょっと続けてみると、

もちろんLEDの点滅は常人には感知できないけど、物性としては点滅しているわけだから、そこまで考えが及ぶんだけど、そうなると作品のその部分に作者は意識が及んでないことに気づく。
作品は数字の1−9まで連続していて(という設定)、数字が入れ替わる瞬間は目で確かめることができるんだけど、同じ数字が見えている間にも実はLEDは点滅しているから、7−8の間を連続していることに言及するなら、7−7の間の変化にも言及してほしい。
別に矛盾はしてないけど、ストイックさを感じるものが個人的に好きなのか、なんかそこが物足りないのかも。