永岡武人(1984〜)の北京(2010〜)→成都(2014〜)での建築設計事務所勤務生活雑記
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視覚の芸術/意味の芸術

仕事の合間に「Architectural THEORY」という15世紀から20世紀(例外としてフランスのVillard de Honnecourtは1210-1240)の建築を建築家毎に紹介した本を眺めていたら、建築(家)が扱っているテーマが大きく変わっていることがわかる。

掲載されている図版では「モジュール/立面/装飾」が目につくが、これらは今の建築では主要なテーマとして扱われていない。
それどころか、「装飾的だ。」なんて否定的な意味で使われることすらあるけど、ぼくは装飾のなにがいけないのかといつも怪訝に思う。

建築のテーマが「視覚の芸術」から「意味の芸術」へと変わったとしても、それは当然視覚の芸術を前提とした上で成り立っているもの。でなければ建築の進化の積み重ねが行われ得ない。
当たり前のことだけど。

その中でもルドゥー(1736−1806)は同時代の人たちと比べかなり特異な存在だ。
全体は20世紀のコーナー締めくくられるが、コルビュジエなどと共にアジア人で唯一黒川記章が紹介され、最後はコールハースで終わる。

[メモ2]11.12.29
メタな思考がないと局所的な正当性にとらわれがち。
→でもメタな思考が苦手。

メタな思考のリアリティ
→リアリティがなくなる瞬間がある。思考力のなさ。